株式会社スマイリーアースインタビュー記事2:ウガンダと深い繋がりを持つスマイリーアースの代表はどんな人?- PREX Island
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株式会社スマイリーアースインタビュー記事2:私のパスポートはウガンダと日本のハンコだけ。
2024年11月に代表の奥龍将さんに、(インタビュー中は奥さんとお呼びしています。)
PREXの児島、狭間、荒木、福岡がインタビューをさせていただきました。
PREX児島
お父さん(2代目)のアフリカへの情熱が奥さんの代まで続いているとのことでしたが、奥さんとアフリカの出会いは、いつから始まったのでしょうか。
また箱根駅伝に出場されたという経歴がとても気になりまして、奥さんのこれまでのご経験も是非詳しくお伺いできると嬉しいです。
タオル屋の息子であることに、大ショック!~小学生時代~
奥さん
先ほど話した内容と重複しますが、(インタビュー記事1の内容)確か1998年頃に、泉佐野を流れる樫井川の水質が、日本ワースト1として発表されたんです。
- 躍進するタオルの街:泉佐野市
昔は、「和泉国」とも言われていた泉佐野。豊かな水資源があったおかげでタオル産地として産業が発展してきました。
ただ、特産品でもあるタオルを作る過程で出てくる工業廃水が、地元の川を日本一にまで汚してしまったんですよね。(泣)
僕が小学5年生(1998年)くらいだったと思いますが、いつも遊んでいる地元(泉佐野)の川が日本一汚いということで、学校の校外学習で「なぜ川が汚れたのか」を調べる授業があったんです。
僕は自然が大好きですし、真面目に、そして純粋に調べ学習をした結果、タオル工場から出る廃水が大きな原因であることがわかりました。
この時受けたショックは今でも覚えているくらい大きな衝撃やったと思いますわ。
当時は、とても後ろめたい気持ちになりました。
泉佐野にはタオル屋の子どもが多くいました。
ショックを受けていたのは、僕だけじゃないと思いますね。
調べれば、調べるほど、しゃべらんとこう。見なかったことにしよう。
そんな気持ちになりました。
家業であるタオル屋を継ごうなんて気持ちには、この時全く思わなかったですね。
家業のタオル屋に興味無し。得意だった「走り」に熱中し、箱根駅伝まで出場した後は、ウガンダへ!!?
奥さん
家業のタオル屋を継ぐつもりはなく、学生時代は得意だった「走り」に夢中になりました。
父がウガンダに行って、ウガンダの有機綿に出会い、新しいチャレンジをしていた時期は、僕が高校生くらいだったと思います。
スマイリーアースの誕生もこのあたりになりますね。
僕は國學院大學に入学して陸上部へ入部し、箱根駅伝の出場を目標に親元を離れ、学生生活を送っていました。
実は、大学2年生の時にブランクがあったんです。
走っても走っても記録が伸びなくて。
「もう辞めて帰って家継ぐわ」って父に1回だけ言ったことがあるんですけど、父は「何言うてんねん。箱根も走れない奴が継げるような家とちゃうわ。」って。門前払いをされちゃったんです。
こんなやり取りの後、チームに戻って走ることを続けました。
結果的には自分を見つめ直すきっかけになり、すごく良かったと振り返れます。
- 箱根駅伝を走る奥さん(第87回大会_2011年)
箱根駅伝にも出場し、大学史上初シード権獲得にも貢献することが出来て、陸上競技者として就職先も決まっていたときに、父から「もう箱根も終わったし、帰ってくるか? 箱根駅伝を走り終えて、意識も変わったやろ?」って言われました。
この時は大喧嘩です。
もう次の就職先は決まっていたし、なんで今そんなこと言うんだよっていう気持ちですね。
ただ、自分の心の中は、1つ大きな目標である箱根駅伝を走り、心は落ち着いていたんです。
改めて自分を見つめ直せる状態にありました。
祖先が代々繋いできた家。
そして祖父の代から続いているタオル業。
いつかは自分も地元に戻り、継承者としての役割を果たさなくてはという、責任感のようなものが心の奥に芽生えていたことも確かです。
そして、自分が小さい時に知っているタオル屋から、父は自然に負担をかけない新たなタオル作りに挑戦していることも、箱根駅伝を目指しながら横目で見ていました。
箱根駅伝を経て色々なことを感じながら迎えた大学4年生の終わりに、父の勧めもあって1人で初めてウガンダに行きました。
卒業旅行です。
先ほどお話した、柏田さんがウガンダの空港まで迎えに来てくれて家にも泊めてくれました。
そこで、柏田さんから様々な話を聞いたんです。
ウガンダへの想いとか、なぜ有機綿にこだわるのか、柏田さんはウガンダと日本の国交を繋いできたような方で、国と国が心で繋がっていく面白さなんかも教えてもらって、気がつけば深夜を過ぎていて、夜が明ける前頃まで熱く語ってくれました。
この時私は、柏田さんの情熱を肌身で感じましたし、柏田さんが話していることは、父がスマイリーアースとして挑戦していることでもあると。やっぱり親子なんで、父から聞くよりも、柏田さんから話を聞いた時に、父の言っていたことが、腹落ちしました。
ナショナルパークにも訪れましたが、これでもかってくらい動物が出てきてくれて。
今まで何十回とウガンダに行きましたが、初めて行ったウガンダで見た光景が今でもナンバーワンですね。
柏田さんとの出会いもあり、ウガンダのことがちょっと好きになって日本に戻りました。
- 柏田さんと奥さん
ウガンダへの訪問を終えて、父が挑戦しようとしていることの凄さに改めて気づくきっかけになりましたし、自分の次のステップとして父のやっているスマイリーアースを引き継ぐことも、いいなって心から想えました。
大学卒業後は泉佐野に帰ってきました。
当時のスマイリーアースは、従来のタオル作りをストップして、自然環境や生態系のことを第一に考えて、タオルを作れるための研究をしていた時です。
僕は2年間ほど別の会社(紡績会社)で経験を積みながら、父の取り組みを学ぶことになりました。
衝突自体が考えるきっかけになって、ビジョンが定まっていく。
PREX児島
泉佐野に戻ってくることになった奥さんは、お父さんと一緒にスマイリーアースの取組を進めることになったと思いますが、どのようにお父さんとスマイリーアースを作り上げてきたのでしょうか。
奥さん
父と僕は結構性格が似ていると思うんです。
なので、衝突も多いです。
現在、スマイリーアースでは工場見学の受け入れも行っていますが、この取り組みを提案した時、父は反対していました。
スマイリーアースは、2018年に経済大臣賞の「ものづくり日本大賞」という名誉ある賞をいただきました。
これまでは自己満足といいますか、自分たちが「これがベストだ」と信じた取り組みで、モノ作りをしてきたので、社会的にも認められる経験をして、「今後、どうやっていくか?」と自問自答している時期でもありました。そんな時、自分たちの取組を工場見学という形で、もっとオープンにしていく方が良いと思ったんです。
父の時代、工場はノウハウの塊で、職人だけが集う場所なんですよね。
技術漏洩の対策はどうするか、見学料の有無等も含めて、お互いが納得するまで議論しました。
工場見学を始めるまでには結構時間がかかりましたが、今では毎年参加者も増えていて、とても嬉しいですね。
中でも、自分たちが大切にしている思想や理念が来場者に伝わり、自分たちが作った製品を納得して購入してくれていることが一番嬉しいです。
- 海外からの視察受け入れの様子
普段の会話では、そもそもの話をよくしていますね。
「スマイリーアースでそもそも何をやりたいんだ」
「お前はそもそも何を伝えたいんや」
とか、そういった日々の会話から、父の考え方なんかを学んでいると思います。
一緒に山に行くときや、ウガンダにいるときも、よう喋っていますね。
自分たちの考えや想いに対しては、時間をとって向き合っているように思います。
タオルの販売1つを例に挙げても、
「なんでもいいからタオルを買ってくれればいいのか」、
「スマイリーアースのことを理解して、また納得をしてタオルを買ってもらいたいのか」
これだけでもお客さんや自分の作る商品への向き合い方って、全然違ってくると思いませんか?
PREX児島
インタビュー記事2の最後に、奥さんにとってお父さんとは、どのような存在か教えてもらえますでしょうか。
奥さん
父に対しては、やっぱり「尊敬」ですね。
そして、超えるっていう表現はおかしいですが、父からきちっと役割を引き継げる存在になりたいっていう思いはあります。
父が従来のタオル作りから形を変えて、スマイリーアースとして環境に負担をかけない(命を優先する)タオル作りに挑戦してきたことは、本当にすごいと思います。
父の存在が大きいがゆえに、自分も父の背中を見て追い付けるように努力しています。
そして、次の世代にも繋いでいく役割を果たしたいと思っています。
駅伝で例えると、1人でも失敗してしまうと順位は落ちます。
次にタスキを繋いだ人がロスを取り返すために、頑張らないといけないわけですが、これはとても大変です。
自分の番が巡ってきたときに、役割をきちんと果たしていく、これが最高の駅伝ですね。
自分には、子どもがいます。
子にはやっぱり良い形で、タスキを繋いであげたいですよね。
次の世代は、次の時代のスマイリーアースがあると思っています。
僕の想像もつかない形になっているかもしれないし、終わるかもしれません。
どうなるかは分かりませんが、少しでも自分が出来る役割をきちっと果たしたうえで、次に繋げていきたいと思っています。
PREX児島
タオル屋の息子であることが恥ずかしかったという奥さんですが、その後、箱根駅伝を走り、ウガンダでの出会い、ご自身の心の動きなど、様々なことをお話いただきました。
次の記事では、ウガンダとどのように向き合ってきたのかを詳しくお伺いしています。
次のインタビュー
株式会社スマイリーアースインタビュー記事3:「信用しないんです」だから「一緒にやるんです」
- 掲載日:2025年5月7日
- 企業名:株式会社スマイリーアース
- 氏名:PREX 児島,荒木,狭間,福岡