株式会社スマイリーアースインタビュー記事1:環境のこと、そしてウガンダへの熱い想いを持つスマイリーアースの原点とは- PREX Island
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株式会社スマイリーアースインタビュー記事1:老舗のタオル屋が10年間タオル販売をストップ!?
タオルの町、大阪泉佐野、ウガンダのオーガニックコットン産地、GULU。
両者は2017年に友好都市連携を締結していますが、遠く離れたアフリカの国「ウガンダ」との繋がりのきっかけは、大阪泉佐野にある小さなタオルの製造業者「スマイリーアース」から生まれました。
従業員は現在たったの4名。
家族で経営しているスマイリーアースは、ウガンダで生産された100%のオーガニックコットンを使用し、化学薬剤処理を一切行わないタオル作りを行っています。
PREXで実施している研修でも何度かお世話になっています。
研修でスマイリーアースを訪問した際に、環境へ徹底的に配慮されている取り組みに驚き、もっと詳しくお話をききたくなり、今回インタビューのご協力をお願いして実現しました。
今回のインタビューでは、3代目の代表を務める奥 龍将さん(以下、奥さん)にPREXの児島、荒木、狭間、福岡がお話をお伺いしました。
- 株式会社スマイリーアース 奥さん(3代目代表)泉佐野のタオル工場
父のアフリカ愛が自分の代まで続いているんです。
PREX児島
スマイリーアースさんといえば、ウガンダ!という印象が大変強いですが、スマイリーアースとウガンダの関係の始まりを、初めにお伺い出来れば嬉しいです。
奥さん
スマイリーアースとウガンダの繋がりは、父(タオル製造業2代目)から始まりました。
父はテレビで見たアフリカの映像を実際に自分の目で見たくて、大学生の頃に初めてアフリカに行ったらしいです。
ナショナルパークの魅力にハマったようで、大学の卒業論文でもアフリカのナショナルパークの保全に関する内容を書いたらしいですわ。
父が社会人になってからは、祖父(タオル製造業初代)から家業のタオル業を引き継ぎ、大阪の泉佐野でタオル作りに熱中していました。
その時、仕事ではアフリカとの関係は何もなかったようです。
2000年くらいからでしょうか、タオル産業が衰退していきます。
大阪の泉佐野は日本の三大タオル産地の1つでもあり、中でも最も歴史が古いですが、隣国の中国で安く大量に、そして早く作れる技術が整い、中国で作られたタオルが日本のマーケットに流れるようになりました。
この流れに太刀打ちできず、あっという間に泉佐野のタオル産業の衰退は進みました。
分業制だったこともあり、1社が倒れ始めるとドミノ倒しのように影響は続き、企業数はピーク時の10分の1以下まで減ったようです。
父の会社の取引先も廃業や撤退がはじまり、「今までと同じようなものを作っていたら、先は無い。違うことをしなければ」そういった想いを持った時期に父は再びアフリカに行きました。
最初はタンザニアに行ったようですが、現地で出会った方から、有機綿を使って綿産業を指導している日本人がウガンダにいるという情報を掴み、そのままウガンダに行ったらしいです。
ウガンダにいたその人物は柏田雄一*さんという方でした。
ウガンダで繊維工場を経営し、農薬や化学肥料を使わずに栽培された有機綿を100%使用していました。
環境を守りながら作られる有機綿の存在に出会い、もともとアフリカのナショナルパークの保全にも関心が高かった父は、「自分の自然環境に対する想いを、曲げないモノ作りをタオルづくりで実現出来たら、素晴らしいな」と強く感じたらしいです。
まぁ父は自然が、中でもアフリカの自然が大好きなんですよ。
「ウガンダの魅力的なコットンを使ってタオルを作りたい」と心が決まったようです。
これが、スマイリーアース誕生の原点になりました。
*柏田さんについて詳しく知りたい方は「ウガンダの父 柏田雄一」と調べてみてください。
山崎豊子さんの小説「沈まぬ太陽」アフリカ篇に出てくる「富士ワイシャツ」の「松田工場長」のモデルにもなった方で、ウガンダの方々から「ウガンダの父」と呼ばれ親しまれた方です。
- 奥さんのお父さん(2代目)
タオル屋なのに、10年間タオル販売をストップしたワケ
奥さん
ウガンダの有機綿を使って新しいタオル作りを始めることを決めた父は、自然環境を守るという想いで大切に栽培された素材を扱うのに、これまでと同じ生産体制を続けながら、タオル作りをするつもりは無かったでようです。
というのも実は、泉佐野のタオル生産量がピークを迎えた2000年前後、泉佐野を流れる樫井川の水質が国内最悪となりました。
タオルの生産には多くの水を使います。さらに、石油由来の化学薬剤を大量に使用します。
もちろん、タオル産業の工場廃水は自然環境に大きな影響を与え続けました。
この現状を、父としては、なんとかしたいと思っていたようです。
ウガンダの有機綿に出会い、環境を第一に考えたタオルを作ることを決めた父は、主に分業で成り立っていたタオル製造を、自社だけで一貫生産するラインを整えることから始めました。
先ほども話に挙げましたが、中国からの安価なタオル流入の影響で、多くのタオル関連会社が廃業や撤退を余儀なくされていた時期に、父は機械などを譲り受けることが出来ました。
5年かけて、自社工場だけで1枚のタオルを作れる環境を整えたようですね。
大変なのはここからでして、環境に負担をかけずにタオルを作るための技術及び環境を構築するまでに、実は10年もかかりました。
中途半端なことはしたくなかった父は、タオルの販売をストップして技術開発に集中しました。
「自分たちが納得しないタオルは、売るべきではない」という想いがあったので、10年間、タオルは1枚も売っていません。
タオル業で収入が無い10年間は、柏田さんの協力もあり、ウガンダの良質な有機綿を仕入れ、日本で販売することで事業を継続していました。
スマイリーアースの誕生は2008年ですので、最初に取り組んだことはウガンダの有機綿の国内販売ということになります。
環境への負担をかけないタオル作りの研究に熱中していましたが、まさか10年もかかるとは思っていなかったようです(笑)。
PREX児島
10年の間、環境への負担をかけないタオル作りを研究していたというスマイリーアース。
初代から続けてきたタオル作りを1度ストップするということは、勇気のいる決断だったと思います。
「まさか10年もかかるとは思ってなかった」と笑いながら、そしてとても軽やかに説明を続けてくれる奥さんの話に夢中になってしまいました。
求めている技術が見つかる保証もないなかで、10年間も研究を続けることが出来るなんて、一体どれだけ強い想いがあれば出来るのだろうかと、未だに不思議です。
スマイリーアースが作り上げた環境に負荷をかけないタオル作りについての詳細は、スマイリーアースのHPで説明されているので、是非ご覧ください。
次の記事では、3代目の奥さんとウガンダの関係、ウガンダでビジネスをすることについて詳しくご紹介します。
次のインタビュー
株式会社スマイリーアースインタビュー記事2:私のパスポートはウガンダと日本のハンコだけ。
- 掲載日:2025年5月7日
- 企業名:株式会社スマイリーアース
- 氏名:PREX 児島,荒木,狭間,福岡