違いをチカラに~人と人の相互理解~(3)/京都 妙心寺退蔵院副住職 松山 大耕氏(2017年6月)
違いをチカラに~人と人の相互理解~(3)
松山 大耕氏
京都 妙心寺退蔵院副住職 
 
■異なる宗教を知ることが自分自身の学びを深めた

オロリッシュ大司教のご推薦で、ルクセンブルグの修道院に滞在させてもらいました。その時も、多くの学びがありました。日本の禅の修行とキリスト教の修道院と同じところがありますが、全く違うところもありました。
同じ点は、朝早く起きる、お祈りの時間がある、静かに朝ごはんをとる、という点です。その後、キリスト教の修道院は、またお祈りの時間、それから聖書を読む、語学、歴史を学ぶなど勉強の時間があります。一方、日本の禅の修行道場では、勉強の時間は一切ありません。ひたすら庭掃除と、ぞうきんがけ、巻き割りです。なぜ私たちの修行は、勉強の時間がないのかと考えることが、禅の本質にふれることになりました。
禅は、「実践体験を重んじている」ということです。いまここに、お茶があるとします。ぬるい、にがい、香りがいいと説明しても、味は、飲まない限り絶対わかりません。これが禅であるということに気が付いたのです。本で読もうと、勉強しようと、悟りがすごいとか、仏教の本質が何かということは、自分自身が体験していかないとわからないということです。禅は、体験や実践を重んじているのだということを、キリスト教の中に身を置くことで理解しました。

違うところに身を置くということは、すなわち自分の学びを深めるということにつながっていくのです。海外にでると、日本とは何か、日本人とは何か、日本の文化をもっと勉強したいと思います。外にいればいるほど自分自身への学び、深まりが出てきます。違いが力を生むというのはそういうところにあるのではないでしょうか。


インドの宗教家の皆さんと


2014年京都でダライ・ラマ14世と会談


2011年日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見

■異なる分野や宗教の人と接するときに重要な点

キリスト教だけでなく、イスラム教の方とも交流してきましたが、こうやって違う宗教の人と触れることで自分自身の学びが深まったというのが私の経験です。異文化の宗教の人と接するときに重要な点は3つあります。

一つめは、異文化の人と交流すると、自然と疑問がわいてきて質問したくなるのですが、タブーの質問もできる関係性を作っておくということです。一方でどんな失礼な質問も受ける、という姿勢が大切になります。

2つ目は、とにかく聴くということです。話の途中で、それは違うのではないかと思う場合もあるかもしれませんが、とにかく聴くことです。

3つ目は、自分が得た体験を、自分自身でとどめておくのではなく、周りと共有しないといけないということです。 これができてはじめて異文化との交流だと思います。質問してはいけないと思われがちなことを質問でき、受けられること、こういう関係性がなければ、相互に理解を深めることは難しいのですが、この3点を、自分自身の中で注意しながら進めています。

去年の秋に、フランチェスコ教皇にご紹介いただいてヴァチカンに行き、宗教者会議に参加しました。私は、シンポジウムの中で「宗教者会議が開催されて、30年すぎますが、いまだに、宗教にかかわる戦争やテロはなくなっていません。かつ、われわれにとって、最大の問題である宗教に対する人々の無関心にも、成果が表れていません。宗教に無関心である、大多数の人に対し、果たして、この宗教家会議はどういう意味を持つのでしょうか」かと問いかけました。



その後の教皇のお言葉として、「私たち宗教家自身が自分たちを変えなければならない。その時に大事なのは2つある。ひとつは、教会を出ることだ」と紹介されました。

私たちならお寺になりますが、お寺にいると快適で、お寺にはお寺が好きな人が来ます。 そうした方は、私たちの話を敬意を持って聞いてくれますし、熱心に仏事にとりくんでくれます。教皇は、神さま仏様がいらない人はそもそもお寺や教会にはこない、宗教家がお寺や教会の中に留まっていてはいけない、ということを言われたのです。

2点目は、「神様仏様はいらないといっている人に、聖書の言葉を使うな」と言われました。何千年も前の偉い人の言葉を引用するだけでは何のリアリティもない、聖書の引用ではなく、自分自身を語れ、自分自身を語るには、宗教体験、実践や体験が必要だといわれました。

これは、どの分野においても共通することです。
単に知識や情報を得ることによる理解ではなく、実際の体験、実践、自分自身が外に出ていく働きかけが重要です。 今回、違いをチカラにといわれているがよく誤解されているのは、話せばわかるということです。私の経験上、話をしても分かり合えない場合もよくあります。むしろ、話してわかるのであれば本当の多様性ではない。本当の多様性は、話しても議論しても分かり合えないものも含まれなければならないと思うです。
たとえば猫とネズミのような関係。天敵のような関係であっても、それがあってはじめての多様性です。分かり合えなくてもまずはその存在を認めあうことが大切なのです。

トルコの田舎で、あるおばあさんとお話ししたとき「何を信じているの?」ときかれました。イスラム教の神ではないことを話すと「アッラーを知らないとは、なんて哀れなの」と号泣されました。そういう人に日本には八百万の神があるということを説明しても、受け入れられません。ですが、そういう世界がある、存在は分かってもらえたと思っています。まずは存在をわかってもらうことが重要です。

いろいろなところで宗教にかかわる悲しい出来事も起こっています。
ジョン・レノンが「ラブ アンド ピース」というメッセージを世界に発信しましたが、今の世の中は「ラブ オア ピース」になっています。マザーテレサは、愛について次のように言いました。「愛の対義語は、憎しみではない、愛の対義語は無関心である」。無関心というのは、存在すらもわからない、認めないということです。いま自分たちが全く理解できないことがあるかもしれないけど、でも、存在を認めていこう、話を聞こう、タブーなく話せる関係性を作ろうということが本当の違いを認める、多様性を認める世の中であることだと思います。

このシンポジウムのテーマ、「違いをチカラに」ですが、違うから自分自身を深めるチャンスになる、世の中に働きかけるひとつのモチベーションになると考えています。みなさまも、このシンポジウムを、ご自身が、違いを力にする契機にしていただけたらと思います。 ありがとうございました。


―2017年6月15日(火)、大阪産業創造館イベントホールにて開催したPREXシンポジウム「違いをチカラに~国や価値観の違いを乗り越えて~」基調講演の内容をまとめたものです。

違いをチカラに~人と人の相互理解~(1)■日本人の宗教観~寛容~
違いをチカラに~人と人の相互理解~(2)■日本の宗教観を世界に
違いをチカラに~人と人の相互理解~(3)■異なる宗教を知ることが自分自身の学びを深めた