違いをチカラに~人と人の相互理解~(2)/京都 妙心寺退蔵院副住職 松山 大耕氏(2017年6月)
違いをチカラに~人と人の相互理解~(2)
松山 大耕氏
京都 妙心寺退蔵院副住職 
 
■日本の宗教観を世界に

日本人は宗教に節操がないといわれますが、私は逆に日本人の宗教観は世界の最も進んだところにあり、日本人の宗教観のいい面を世界の皆様に知ってもらいたいと考えています。 その取り組みとして、2つ紹介します。 一つは、尼崎で始まったラジオ番組「八時だよ!神様仏様」です。ラジオ番組で、DJは、神主さん、牧師さん、お坊さん、そしてイスラム教のイマーム(指導者)や私も準レギュラーです。まったく違う宗教家が、リスナーのお悩み相談をする画期的な番組で、まったく異なる宗教家が集まり一つの問題を一緒に解決するというのは、日本ならではの発想です。


ラジオ番組「八時だよ!神様仏様」

もう一つ発起人としてかかわっているのは「宗教者駅伝」です。世界中からさまざまな宗教家の方に京都に集まってもらい、宗教家だけでつなぐ駅伝をしました。第一走者、第2走者と、宗教バラバラで一つのタスキをつないでいきます。これも非常に画期的な取り組みです。今、宗教がらみのテロが起きていますが、宗教家のトップのレベルでは、そういうことをしている場合ではないということは、共通認識で、共に平和を推進しようという機運が高まっています。すべての宗教に共通する一番大きな課題は、テロや戦争ではなく、「宗教への無関心」です。人々の宗教への無関心にどう立ち向かうのかが、すべての宗教家の課題で、さまざまなところで開催される宗教者会議での話題となっています。
しかし、私は宗教者会議にも問題があると思っています。主な理由は2つあります。一つは、宗教者会議をすると密室なので発信力がないということ。もう一つは、宗教の世界は、ヒエラルキーがしっかりしていて、若い人が活躍できるフィールドは限られており、ともすれば年配のおじいさんの集まりなるということです。 「宗教者駅伝」は一人10キロ走らないといけないので、必然的に若い人が活躍できるのがよいところです。そして、女性も大勢参加されます。
ヨーロッパのルクセンブルグやアムステルダムでも、同じコンセプトで、駅伝が開催されています。スポーツを通しての宗教の融和を図ろうという取り組みです。


京都だけでなく各地で開催した「宗教者駅伝」

■キリスト教の教育を受けて

こういうさまざまな活動をしていますが、自分の活動の原点となったのは、キリスト教の教育を受けたことです。中学高校は洛星中学・高校というキリスト教の男子校でした。中高一貫の学校で、中学の1年、2年、3年生、高校3年生に宗教の時間があります。6年間の授業の中で一番心に残ったのは、高校3年生の宗教の時間。奄美大島出身で当時75歳ほどの村田神父様という方が、「君たちの質問に何でも答えます」という授業をされました。神父様の口癖は、「村田を困らせてください」でした。今でも心に残るのは、私のある友人が「神父様は、いつも神様、神様とおっしゃいますが、僕たちには神様の存在がわかりません。僕たちの前で、神様の存在を証明してください」と質問した時のことです。非常に意地悪ですが、本質をついていると思いました。この時、神父様は、「神様は人智を超えた存在だから神様である。だから、神は人間によって証明されてはならない」とお答えになりました。 この答えには、クラス中が静まりかえりました。意地悪な質問に、逃げ隠れもせず、まっすぐに答えられた姿に、私は、宗教家はかくあるべきだと、感銘を受けました。
グローバルな世の中ですが、グローバルというのは、英語を話せるとか海外での勤務経験があるということではないと思います。いろいろな地域、いろいろな宗教があるのだから、宗教についていろいろな知識を学んでおくのは必須です。キリスト教の国に赴任して、最後の晩餐の絵の意味が分からない、イスラム圏にいって、ラマダンの時に何をしていいのか、悪いのかという知識がないのは致命的です。違う宗教を学んでおくというのは、大切なことです。

ルクセンブルク大司教のオロリッシュ氏は、上智大学の副学長も務められ、日本に23年間住まれたご経験をお持ちです。高野山でも1年間修行を積まれ、親鸞の論文も書いていらっしゃるなど、日本に造詣が深い方です。オロリッシュ大司教とルクセンブルクで対談する機会をいただいたのですが、「自分は、日本という仏教国に行って、高野山や親鸞といった日本の仏教の神髄に触れたことで、より、キリスト教徒になることができた。違う場所に身を置くことによって、キリスト教の信仰や教えに対する理解が深まった」と話されました。 私自身も心の底から同意できるお話でした。


ルクセンブルク大司教のオロリッシュ氏との対談



ルクセンブルグの修道院に滞在

違いをチカラに~人と人の相互理解~(3)■異なる宗教を知ることが自分自身の学びを深めた
 へ続く